●メモリアル,ホセ・ルイス・
ゴンサレス国際ギター講習会
(1999年7月1日〜11日)

  
 7月1日から11日までナバーラの街エステージャに於て、メモリアル,ホセ・ルイス・ゴンサレス国際ギター講習会が行なわれました。前回から故マエストロ,ゴンサレスの後を師の高弟であるマヌエル・バビローニが継ぎ、今年で第25回を迎えるに到りました。
 
 6月30日早朝マドリード,チャマルティン駅から特急で5時間かけてナバーラの中心都市パンプローナに向かう。同市に住む友人アレハンドロが駅まで車で迎えに来てくれた。荷物を彼の家に置いた後、やはりこの街に住むラケルという女の子と3人で昼食をとり、彼らの近況を聞かせてくれた。2人ともカステジョンでのバビローニの講習会で知り合い、アレハンドロは音楽院の上級を、そしてラケルは中級を最優秀の成績で終えた将来に期待のかかる若いギタリスト達です。その日の夜をアレハンドロの家に泊めてもらい、翌日彼の運転する車でエステージャへ。マエストロをはじめ数多くの講習会受講生が宿泊したペンション,サン・アンドレスに到着し、そこでビトリアから来たヘスースに会う。彼はもう10数年前からこの講習会に参加しているベテランの1人で、エステージャに来たことのある人ならすぐに彼の笑い声を思い出す事でしょう。
  
 4人で文化館フライ・ディエゴに到着するとすでにバビローニと夫人のマルタが来ていた。以前から噂に聞いていたパティオ、練習場の階段、そして昨年掲げられたマエストロへの記念プレートなどを見て何か非常に複雑な心境になった。来年にはこの建物全体が改修される予定で、エレベーターの設置に伴い有名な階段も姿を消すことになるかも知れないそうです。
  
 受講生にもう1人、エステージャに住むミリアン(彼女も今回で10年目だそうです。)を含めた6人でクラスは始まりました。初日である1日はスペイン国営放送(TVE)が取材に来て私もインタビューされ翌日のお昼のニュースで放送され、一躍有名人になってしまいました。講習会期間中には様々な新聞記者などが訪れ何度か記事が載っていました。    5日には京都の福知山から足立由香理さんも参加しました。受講生が7人ととても規模が小さいだけに、講習会は1人1人のメニューを決めるところから始まり、時間に追われずにくつろいだ雰囲気の中で授業は進められました(とはいえ毎日出される宿題の量は多く、午後は皆練習に励んでいました)。
  
 9日金曜日の夜、バビローニのリサイタルがありました。プログラムはD.フォルテアの<タレガへの哀歌>,<詩的練習曲>,<トレド>,<即興曲>,<人形達の踊り>、V.アセンシオの<神秘の組曲>、J.トゥリーナの<ファンタジア・セビジャーナ>、F.タレガの<パバーナ>,<マリーア>,<ワルツ>そしてI.アルベニスの<入り江のざわめき>,<グラナダ>,<アストゥリアス>でした。演奏会場は講習会の行なわれているパティオで、準備された椅子は全て埋まっていました。いつもどうりの素晴らしい音色と音楽で聴衆を魅了し5度のアンコールに応えていました。またアンコールの始まる前にバビローニはこのコンサートを偉大な仕事を成し遂げたマエストロ、ゴンサレスに捧げました。私は入り口の扉開閉役で外で聴いていましたが、聴衆の感動している様子はそこまで伝わってきました。
   
 11日の最終日には受講生1人1人がこの10日間で学んだ曲で発表会を開きました。その後、打ち上げ兼の昼食会を講習会期間中毎日通ったレストラン"ローマ"で行ない、そこのウェイトレスの希望で昼食後もギターを演奏しました。
  
 アレハンドロとラケルを含めた友人達と11日の夜はパンプローナで飲み明かし、翌日朝8時からの牛追い祭(サン・フェルミン)を観て、たくさんの思い出と共に午後の列車でマドリードへ戻りました。
  
 自然に恵まれたエステージャ(北のトレドと言われている)は、日頃私たちが観光ガイド等で見るスペインのイメージとは違う、落ち着いた田舎街でとても落ち着いていました。今年は特にキリスト12使徒のひとりサンティアゴ(聖ヤコブ)の年で、数多くの巡礼者達がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指し、エステージャはその「サンティアゴ巡礼の道」にあり、たくさんの巡礼者達にも出会いました。
  
 約2週間の旅行期間中、ホアキン・ロドリーゴが亡くなるという悲しいニュースもありましたが、本当に充実した日々を過ごすことができました。また来年も参加するつもりでいます。

講習会受講生とバビローニ先生